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黎明期 原子力、放射線の発見から戦争への突入

1895年 レントゲンによってX線が発見されました。
発見直後から診療、治療、脱毛用として応用先が次々と開拓されています。

1896年 ベクレルがウラン鉱石からエネルギーが出ていることを発見します。
これが初の放射能を発見となります。なお、ウランは1789年マーチン・クラプロスによって発見されました。

1898年 マリーキュリーが放射性元素のポロニウムを発見.
分離方法を開発しノーベル化学賞を受け取ります。同年、次に発見した元素がラジウム。放射線を出すことを英語でラジエーションといいますが、同じ語源と言うことになります。

なぜ初めて発見された放射性元素がラジウムと命名されず、ポロニウムであったか・・・。これはキュリー夫人の生まれ故郷であるポーランドにちなんでいます。当時ポーランドはドイツに侵略されており、存命の危機にありました。ポロニウムという命名には元素の名前として故郷の名を永遠に残そうという彼女の強い意思があったのです。

1938年 ハーン・シュトラスマンによって核分裂反応が起こされます
ウランに中性子を当てると核分裂が起こることが発見されました。

1939年 第二次世界大戦勃発
ドイツからアメリカに亡命したシラードはルーズベルト大統領に原子力独自開発の書簡を送ります。アインシュタインが署名したことから、有名なアインシュタインの書簡として歴史に残っています。

後に平和運動を展開するアインシュタインがなぜ原爆開発の手紙に署名したのでしょうか…。実はこの時点で、原子力によって爆弾が作れるということを彼は知りませんでした。彼がイメージしたのは原爆ではなく、発電所のようなものだったのではないかと考えられています。

第二次世界大戦当時は、国の工業力や経済力、軍人の人数が戦争の勝敗を決定する「総力戦」の時代でした。日本でも、すべての労働力を軍部が自由に戦争に用いることができるという「国家総動員法」が成立しています。このような時代の中で、莫大なエネルギーを生み出す原子力を軍事目的に使うこと自体はごく当然のことだったのです。

1942年 初の原子炉CP-1によって核反応が制御されます。
[写真 DOE アメリカ][ATOMICA 日本]
今の原子炉は格納容器に1メートルを越す放射線防護壁が設けられていますが、当時はレンガが積み上げられたのみで、格納容器も原子炉建屋もありませんでした。

実験の時には原子炉の上にホウ素が入った袋がひもでぶら下げられます。核反応が暴走したときにひもを離すと、ホウ素が原子炉の上に落ち、核反応が止まるという仕組みです。


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