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歴史に対する著者の見解

歴史教育は賛否両論の塊です。平和な今、戦争の歴史は悲惨な教訓ですが、戦争中は鎌倉時代の神風を教えていました。歴史とは教えれば「正しい子供」が育つ魔法の知識ではありません。むしろ語る人の考え方やその時代の世相を示しているものだと思います。

近年、大学評価制度の中で多くの研究者が自分の研究のことを「100年先に役に立つかもしれないから研究は潰すべきではない」と主張します。理学者や哲学者たちは何百年も先に価値を見出すようです。遠い視野を持つことは大切です。しかし、今行われている研究は、100年後に役に立つかも知れませんが、200年後には非難の的となっているかもしれません。100年前、原子力は医療に使える便利品でした。50年前、原子力は国家レベルの莫大なエネルギーを生み出す技術でした。原子力黎明期から100年、今まさに原子力は非常に厳しい批判にさらされています。かつての偉人たちは50年後を予測したでしょうか。私は予測できなかったと思います。

では歴史を動かしてきたのは誰だったのでしょうか?

稼動中の原子炉、停止後数日間の原子炉は放射能が強く、ふたを開けられません。だから、原爆製造を監視する査察官は原子炉が動いていることに安心します。
鉄砲やミサイルは打つ前に弾をこめ、構える必要があります。最先端技術の結晶であるスパイ衛星はミサイルの向きや燃料タンク車の位置をじっと見つめつづけるという、非常に古典的な作業をしているのです。

技術者たちは100年後より10年後、5年後より半年後、一ヵ月後より明日のことを考えてきました。技術者たちは歴史上の偉人とはまったく逆の歴史観を持ち、まったく逆の行動をとってきたのです。1分1秒の判断を要求される技術者たちは歴史に名を残すこともなく、歴史を作ってきました。平和利用のために人生をかけた原子力技術者たち、逆に原爆製造者たちは一体なにを見て、どのように決断したのでしょうか。

後からコメントをつけるだけなら誰でも出来ます。彼らは目先の利益を追っただけのか。そのとき出来ることに全力を尽くしたのか。泥臭いながらも歴史を作ってきた人物を追います。

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