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日経新聞のコラムについて

まず、お恥ずかしながら私が匿名で発言することをご了解いただきたいと思います。

私は元原子力関係の技術者で、今は化学工場の技術者として仕事をしています。 これから話すことは私の実体験に基づくことですから、私について探りたい方は、 興信所を雇えばすぐに私の身元を特定できることでしょう。

しかし、私はロビー活動家でもなければ、コラムを書くことでお金を受け取ったこともありません。 私自身はリスクを犯してまで発言を続けるつもりはありませんし、「原子力超入門」あてに メールをいただければ私に転送されますので、一市民として生活していく上でできる範囲での 対応をさせて頂くつもりです。

改めまして、今日は日経新聞のコラムについて、実態と外れていると思ったことを一つずつ 説明させて頂きます。読まれている方は、私の意見が正しいか正しくないか見るのではなく、 自分であればどう思うかを考えるきっかけにして頂ければと思います。

記事は以下のものです

日経新聞のコラム

コラムには原子力の仕事についている人は原子力について話したがらない。

そのとおりです。

ではなぜか?理由は簡単で、内容が政治の話題だからです。

日経新聞のコラムに書かれていることそのものですが、残念ながらほとんどの人が賛成反対と いう目でしか原子力を捉えていないのではないでしょうか?

原子力のエンジニアたちは自ら問題を見つけ、自ら解決すべく日々努力をしています。 これは自動車や化学、電気、ITエンジニアも同じです。
原子力発電所がどのように安全確保をしているのかを聞かれたら技術者たちは喜んで答えるでしょう。
私は技術者の難しい取り組みを、自己満足と言わんばかりに一般市民に語りたいと言っているのではありません。

同じ場所に住んでいれば相手の興味関心や知識レベルにあわせて、自然とお互いが話を合わせます。 電力会社の広報センターなどでは安全対策の説明が頻繁にされていますし、地元では「会社が 自らの言葉で自らの取り組みを市民に説明すること」そのものが、信頼関係の礎となっているのです。

しかし、評論家の原子力批判は「エンジニアの努力を無駄だと仮定する」ことから始まります。 当然ながら、問題を解決することで生計を立てているエンジニアが彼らに話すことは何もありません。 原子力施設が地元にない人は、チャンネルを変えれば、ページを変えればいつでも都合の悪い相手を 消すことができます。彼らが本気で原子力について知りたい、不安を解消したいと思ったら、 地元住民以上の努力を要するはずです。今、自信を持って自分は勉強をしていると言える人はどれだけいるで しょうか?

リスクが高いから原子力に反対。とコラムにあります。

チェルノブイリ事故は人類にとって脅威的でした。放射能漏れを防ぐ頑丈な原子炉格納容器が 無く、運転の仕方によっては暴走反応がおきることもあらかじめ分かっていた。

過ちからは謙虚に学ぶべくものが数多くあり、チェルノブイリを持ち出されたときには私も閉口せざる を得ません。技術者を黙らせるのが目的の方は、事故を話題にすれば良いでしょう。

しかし技術者たちが歩んだ経過を求められるならば、チェルノブイリ事故以前から危険を原子炉自身が回避する 「自己制御性」を持つ原子炉が設計され、日本を含む旧西側諸国ではいまやそれが当たり前となっています。

経済力の無い旧ソビエト諸国では同型の原子炉が現在でも動いていると聞きます。対策があるにも関わらず、 対策を取れない人、対策を知ろうとしない人。私はこの2者によって原子力批判の世論が独占されていると感じています。 (私は「制御棒で反応を制御している」という説明をする中学校高校の教育に違和感を感じています。)

旧ソ連ではチェルノブイリ事故が隠され、放置されたことで被害が拡大しましたが、日本ではたとえ政府が事故を 隠したとしても、放射能の測定装置はネットで誰でも参照することができます。 これも、原子力施設のある地元に行けば道なりに見つけることができるものですが、 残念ながら私が説明しても「見てみた」という連絡はほとんど受けたことがありません。

事例

人の批判に熱中している人は、決して自らのリスクを減らす努力をしないのです。

原子力は不可欠なのか?

コラムニストの方の家の周りの街灯は夕方の4時半になると周りが明るくても点くそうですが、 そもそも原子力施設の周りは田舎で、街灯がほとんどありません。

私が原子力に携わったときは寮生活で、冷蔵庫もテレビも持っていませんでした。 7時30分に閉まるコンビニ。都会育ちの自分にとって原子力施設に赴任した直後はカルチャー ショックの連続でした。

原子力発電に反対している人には「省エネをすれば原発は要らないのでは?」とよく聞かれますが、 いつも「それはこっちの台詞だ」と怒鳴りたくなる自分を抑えながら、「日本の電力消費は 年々増えていてね・・・」とわざわざ遠まわしに「難しい」説明をします。

フランスは豊かな暮らしをするために60年代に原子力を推進した、とコラムにありました。 フランスでは贅沢のための原発かもしれませんが、とりわけ日本では70年代オイルショックを 経験したときに文字通り死活問題を解決する手段として必然的に原発導入が進みました。

話はそれますが、先日のガソリン高騰のとき、私が「ガソリンが飲料水より安いのがそもそもおかしい」と 友人に話したところ、非難を受けた記憶があります。
2008年の世論調査では3割以上の国民が国にガソリン高騰の対策をとるべきだと考えたようで、 医療福祉を追い抜いて国への要望第1位となっていました。
ガソリンが手に入らなくなったわけでもないのに・・・です。皆さんはどのように感じたでしょうか?
自分が必要の無いと思うものを必要ないと、時代や状況が変わっても言い続けることができますか?
原子力発電所は一朝一夕で建てたり潰したりできるものではありません。

日経新聞のコラムの総括では新エネルギーを開発すべきだという話でした。もちろんそのとおりです。

実際、私のいた事業所前の道路には補助電源として太陽光発電を使っている放射能の測定装置が設置されています。

今の原発を駆逐する新エネルギーは地熱発電かもしれないし、廃棄物の心配の無い 新型の原発かもしれない。原発を廃止するかどうかは、新エネルギーが十分に普及して、 今の原子力発電所が要らなくなったときに考えればよいことでしょう。

一昔前とは違い、今では家庭向け発電機がホームセンターや住宅メーカーで取り扱われる時代になりました。
ネットでは大企業からベンチャー企業に至るまで、株や社債を個人で売買できる時代になりました。

みんなで原子力に取り組むことの薦め

私は原子力は誰にでも関係すること、誰でも議論に参加できることだと思います。 しかし、みなで考えるのは「事故が起きると国民を無差別に危険に曝すから」という理由からではありません。

世の中を冷静に見渡せば、技術者だけが勝手に原子力を安全あんぜんといっているわけではあり ません。たとえば生命保険はさまざまなリスクを独自に数値化することで保険金額を決めていますが、 私のいた職場でも生命保険はありました。そして、原子力従事者の保険金は一般的な工場従事者となんら変わりません。 原子力の専門家でなくても、原子力を自分なりに理解し、原子力と向き合っている人は沢山いるのです。

私が原子力に携わっていたときは、テレビや新聞を見た人が個人的な思想をぶつけに来ることが多かったよう に思います。しかし、エネルギー問題とは報道に出てくる人たちの問題ではなく、現実社会のものです。

今回はロビー活動家へのコメントということで匿名とさせて頂きましたが、私自身は実社会で省エネ技術の開発に 取り組んでいますし、最後まで読んでくださった皆さんの周りにも、仕事で省エネ・省資源・省コストに 取り組んでいる方は大勢いらっしゃると思います。評論家は好奇心で省エネ・新エネルギー開発に取り組めば いいかもしれませんが、われわれエンジニアは開発や省エネができなければもろに査定に響きます。

先進的な省エネ商品の開発に成功しても消費者が安い他社製品が良いと思えば商品は売れず、給料も下がります。 これが現実です。

今の原子力を取り巻く議論は、とりわけ報道の話はハッキリ言って実態とかみ合っていないと思います。
近い将来、原子力関係者とそれ以外の産業従事者、消費者、評論家など、同じ国民同士意識のギャップが 埋まり、すべての人の間で忌憚の無い意見が交わせる日が来ることを切に願っています。


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